◆◆◆◆◆
朝の光が窓から差し込み、遥の部屋を静かに照らしていた。
ぼんやりと目を覚ました遥は、ぼんやりと天井を見上げながら、昨夜の出来事を思い出す。
左手を持ち上げると、薬指に嵌まったままの赤い指輪が目に入った。
「……やっぱり、外れないか。」
小さく息を吐き、指輪をじっと見つめる。試しに引っ張ってみるが、びくともしない。
(どうするかな……このまま放っておいていいわけないし、ルイスと対策を考えないと……)
そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。
「遥、起きているか?」
ルイスの声だった。
「起きてる。今開けるよ。」
遥は素早く寝台から降り、扉を開ける。しかし、その瞬間――
「……手袋を忘れているな。」
ルイスが低く指摘する。
遥は一瞬きょとんとした後、慌てて左手を隠した。
「えっ、あ、しまった……!」
昨夜、ルイスから“指輪を隠すために手袋を常に着用するように”と厳しく言われていたことを思い出す。
「ちょ、待って、取りに――」
言い終わる前に、ルイスの手が伸び、遥の腕を軽く引いた。
「いい、こっちに来い。」
驚く間もなく引き寄せられ、思わずルイスの胸元にぶつかる。
「お、おい!」
「お前がまた忘れると思
◆◆◆◆◆温室の静寂を破るように、赤い宝石が微かに光を放つ。遥は反射的に息を呑み、ルイスもまた鋭い眼差しで指輪を見つめた。「……触れてもいいか?」ルイスが静かに問いかける。遥は一瞬ためらったが、ここまで来たのなら試すしかないと覚悟を決め、そっと手を差し出した。ルイスの指がゆっくりと指輪に触れた瞬間――視界が赤く染まった。◇◇◇「カイル……僕たちは、本当にここに閉じ込められるの?」冷たい石の床、天井まで届く巨大な魔法陣。その中央に、二人の少年が座り込んでいる。遥は息を呑んだ。(また……この光景……!)兄カイルと、弟アーシェ。王家の命によって封印され、ゆっくりと石化していく二人。カイルは静かに座したまま、まるで運命を受け入れるかのように動かない。一方のアーシェは、必死に魔法陣を破ろうとしていた。「……どうしてこんなことに……!」アーシェは震える声で呟いた。「お祖父様が僕たちを封印しようとしてる。あんなに可愛がってくれていたのに…どうして」「お祖父様は王として決断されたんだ。」カイルの低い声が響く。「俺たちが異能を持っ
◆◆◆◆◆王城の奥深く、限られた王族しか立ち入ることを許されない 王家の宝物庫。その前には、二人の近衛兵が静かに立っていた。ルイスは無言で腰から鍵を取り出す。王族の中でも限られた者だけが持つ、宝物庫を開くための鍵だ。その動きを見て、近衛兵たちは敬礼する。「ルイス殿下、開門なさいますか?」「私と聖女が中に入る。しばらく誰も近づけないように。」「かしこまりました。」近衛兵が一歩退くと、ルイスは鍵を差し込み、重厚な扉を押し開いた。冷たい空気が流れ出し、遥は静かにその中へ足を踏み入れる。◇◇◇室内はしんと静まり返っていた。燭台の揺れる光が、無数の書棚を淡く照らし出す。そこには羊皮紙や木簡、古びた書物がぎっしりと詰め込まれ、時間の流れを感じさせる重厚な雰囲気が漂っていた。遥は思わず息を呑む。「すごい……。」「王家の歴史が記された書物が収められている。古いものは数百年前のものもある。」ルイスは淡々と説明する。「……アーシェとカイルの記録もあるかもしれない?」「それは分からない。」ルイスの声には期待を抱かせまいとする冷静さがあったが、遥はその奥にある緊張を感じ取った。二人はそれぞれ書架に目を向け、古びた書物を慎重に開いた。---◇◇◇王族の家系図が記さ
◆◆◆◆◆王太子アドリアンの部屋の前に立つと、中から女性の怒声が響いてきた。「貴方が謹慎状態のせいで、私の扱いは散々よ! 分かってるの!? しっかりして、アドリアン!」「……うるさい。黙れ、沙織。」冷めた声が返される。「部屋に閉じこもっていないで、謹慎処分が解けるように動いてよ!」「いい加減にしろ!」激昂するような怒鳴り合いに、遥とルイスは扉の前で立ち往生する。衛兵たちも互いに視線を交わし、どうしたものかと困惑している様子だった。やがて、ドンッと乱暴に扉が開いた。部屋から飛び出してきたのは、王太子の契約聖女・沙織だった。彼女は怒りに頬を紅潮させ、扉の方へと険しい表情で振り返る。「もう、いいわ! どうなっても知らないから!」そう吐き捨てると、彼女は勢いよく踵を返した。だが、そこにルイスと遥が立っていることに気づくと、一瞬驚いたように足を止め――すぐに遥を鋭く睨みつける。「……王太子に何の用?」「……別に、お前とは関係ない話だ。」遥は冷たく答えた。沙織は遥をじろりと一瞥し、苛立たしげに鼻を鳴らすと、そのまま何も言わずに去っていく。その態度には明らかに不満が滲んでいた。(……相変わらず、嫌な奴。)遥は軽くため息をつき、去っていく沙織の背中を見送った。「兄上、話があります。」
◆◆◆◆◆王城の奥深くにある 王家封印庫――そこは、王族の中でも王と王太子のみが自由に出入りできる、最も秘匿された記録が眠る場所だった。石造りの回廊を抜け、分厚い扉の前に立つと、アドリアンが懐から鍵を取り出す。それは、繊細な装飾が施された金の鍵だった。「王と王太子のみが持つことを許された鍵だ。」そう言いながら、アドリアンは鍵を差し込み、ゆっくりと扉を押し開いた。ギィィ……長い年月、閉ざされていた扉が重々しく軋み、奥の冷たい空気が流れ出してくる。遥は思わず息を呑んだ。目の前には、王族の歴史を刻むように並ぶ、無数の書物があった。羊皮紙や木簡、古代文字で記された記録の数々――その光景に、遥の胸は高鳴る。「……ようこそ、ルミエール王家の最も秘匿された歴史へ。」アドリアンは皮肉げに笑いながら、扉の向こうへと足を踏み入れた。ルイスもその後に続き、最後に遥が一歩を踏み出した。◇◇◇封印庫の中は、広大な書架が連なる図書館のようだった。ただし、通常の書庫と違うのは、その場に漂う異様な静けさと、長年触れられていない気配だった。「すごいな……」遥は無意識に呟く。ルイスは無駄のない動作で奥へ進み、目的の記録があると推測される区画へと向かった。「ここには、王家が封印した記録が保管されているはずだ。」「…
◆◆◆◆◆指輪から、眩い 赤い光 が溢れ出す。「――っ!」遥は反射的に目を閉じた。意識を揺さぶられるような感覚が体を駆け抜ける。同時に、周囲の空気が一変する。まるで、違う世界に引き込まれるような――そして、視界が開けた。---◇◇◇そこは、鬱蒼とした森の中。遥は目を見開く。(どこだ……? ここは……)目の前には、金髪に緑の瞳 を持つ少年 アーシェ と、その隣に立つ穏やかな表情の兄 カイル。二人は馬に乗り、数人の兵士を従えながら、森の奥へと進んでいた。遠くには、古びた神殿 が木々の間から見え隠れする。王家の南の神殿に不審者が住み着いている という報告があった。王は、それを討伐するよう アーシェとカイルに命じている。「兄上、本当にここに不審者がいるのだろうか?」アーシェが眉をひそめる。「王の命令だ。確かめるしかない。」カイルは落ち着いた声で返した。二人は、命じられた通りに南の神殿へと向かう。しかし――それは、罠だった。アーシェたちが神殿近くで馬を降りた瞬間、周囲の兵士たちが動く。「殿下方、どうかお許しください。」
◆◆◆◆◆遥の意識が覚醒する。息を整えながら視界を巡らせると、そこは 封印庫 だった。(今のは……?)額に浮かぶ冷たい汗を拭いながら、遥は呆然と天井を仰ぐ。まだ頭の奥がぐらつくような感覚が残っていた。「……幻……?」誰にともなく呟く。その瞬間、ふと 窓から差し込む赤い光 が目に入った。赤い光――(まだ幻想の中なのか……?)心臓が跳ねる。けれど、それは 夕日 だった。封印庫の小さな窓から差し込む光が、長く伸びた影を床に描いている。西の空には王城の屋根の向こうに沈みかけた夕日が見えた。「……時間が経っていたのか……」遥が言葉を絞り出した。長くはなかったはずの幻覚体験。しかし、それが終わるまでに 現実の時間は大きく流れていた のだ。---ルイスも額に手を当て、深く息を吐く。まだ手足に力が入らない。「……遥、お前も見たか?」「……ああ、見たよ……。」遥の声は震えていた。確信があった――魔王アーシェは、王族だった。それを否定することは、もうできない。
◆◆◆◆◆封印庫を飛び出し、王城の廊下を駆け抜ける。遥は走りながら息を切らせた。「ちょっ……どうするの……!?」「このまま城を出る!」ルイスの声には迷いがなかった。廊下に響く二人の足音。追いかけてくる兵の声はまだ聞こえないが、時間の問題だった。遥の胸は激しく鼓動する。(アドリアンが王に報告すれば、俺は……)遥は 石化封印 されるかもしれない。そして、ルイス自身も 異端者 として処分される可能性が高い。それを考えると、足がすくみそうになる。(だったら……もう、行くしかない!)遥は迷いを捨て、ルイスの手を強く握った。「魔界領に行く!」遥の声は王城の静寂を切り裂くように響いた。「南の神殿で、王国の真実を明らかにしたい!」ルイスは驚いたように遥を見た。 その瞳には、迷いのない決意が宿っている。「……お前、本気か?」「もちろん! 行こう、ルイス!」遥は力強く頷いた。ルイスも深く息を吐くと、しっかりとした声で応じる。「分かった。行こう、遥!」彼は遥の手を引き、さらに廊下を駆けた。これまでのような、ただ王族として生きる日々ではない。この決断が、彼の人生を
◆◆◆◆◆王城の空は、茜色から深い群青へと変わりつつあった。沈みゆく夕日が城に影を落とし、灯火がひとつ、またひとつとともる頃――城内には怒声が響いていた。「ルイス殿下と聖女が逃亡! 城門を封鎖しろ!」「全通路に兵を配置しろ! 捕らえるまで止まるな!」王太子アドリアンの命令のもと、王城は緊張と混乱に包まれていた。だが、その中を――ふたりの影が駆け抜ける。「遥、あと少しだ……!」ルイスは遥の手を取り、王城の奥へと走っていた。「うん……!」息を切らしながらも、遥はその手を離さず走る。目指すは馬小屋、そして裏手にある荷馬車搬入口。唯一の脱出経路だった。廊下の窓からはすでに光が消え、月明かりが淡く差し込んでいる。城の影が深く伸び、夜の帳が降りようとしていた。そのとき、鎧のこすれる音が近づいてくる。「そこだ! ルイス殿下を逃がすな!」兵士たちが剣を抜き、一斉に駆け寄ってきた。「……っ!」ルイスは遥を庇うように立ち塞がり、剣を抜いて前に出る。「王族に刃を向けるつもりか?」だが兵たちは構えたまま、躊躇いながらも口を開いた。「殿下……申し訳ありませんが、今や殿下は反逆者と認定されています!」ふたりが追い詰められ、剣を向けられたその瞬間――キンッ!鋭い金属音が鳴り響き、兵士の剣が吹き飛んだ。「……?」遥が振り返ると、そこに現れたのは――コナリーだった。銀の鎧に身を包み、騎士剣を構えた姿。だがその右手はわずかに震え、表情には見えぬ焦りが滲んでいる。(……やはり、完全には戻っていない)魔王討伐の最終局面。コナリーは王太子の命で、石化した魔王を砕き続けた。剣が砕けた後も、素手で叩き続けるよう命じられた。砕き続けた代償として、両手の指と関節は変形し、今も強く剣を握ることができない。騎士として剣は携えるが、かつてのように振るうことはできない。それが、今の彼だった。「コナリー卿、裏切る気か!?」兵士の一人が叫ぶ。だが、コナリーは一歩も退かず、毅然とした声で答える。「私は、聖女に仕える騎士です。それが、私の誇りです」「コナリー……!」遥が息を呑みながら彼を見つめる。「命令を、遥」その声に、遥は力強く頷く。「ルイスと一緒に、魔王領へ向かう! 魔王の秘密を解き明かすために!」「承知しました」コナリーは再び剣を構え直す――だが、
◆◆◆◆◆二人のやり取りを少し離れた場所で見守っていたルイスは、ふと視線を逸らした。「コナリー、遥を頼む。私たちはここで調査を続ける」「承知しました」「それと――」そう言いかけて、ルイスは一歩だけ近づくと、遥の頬にそっと触れた。「……体調が戻るまで、無理はするなよ。顔色が、まだ少し悪い」「……う、うん……ありがとう、ルイス……」ルイスの優しい気遣いに顔を真っ赤にしながらも、遥はコナリーの腕の中で小さく息を吐いた。◇◇◇そのまま、コナリーに抱きかかえられて部屋へと向かう。扉が閉じられ、静かな寝室に入った瞬間、空気がふわりと和らいだ。ベッドに優しく降ろされた遥は、コナリーの顔を見上げた。「……なにか、見たのですか?」コナリーの問いに、遥は思わず目を伏せた。幻で見た全てを――カイルの封印を解く方法を、自分が知っているということを、今ここで言うべきなのか。躊躇いと、恐れと、罪悪感。その狭間で言葉を選べずにいると、コナリーはそっと遥の髪を撫でた。「無理に話さなくても大丈夫ですよ、遥」その声音は柔らかく、包み込むようだった。
◆◆◆◆◆白の空間に戻った遥は、しばらく何も言えなかった。石化の中で眠る王と聖女の記憶。祈りによって封印が緩むよう仕組まれた術式。その真意。すべてを視た遥の隣に、アーシェが立っていた。彼の表情は、以前よりも穏やかだった。「……これが、すべての始まり。そして、僕がずっと願ってきたことでもある」「願い?」「兄を、カイルを……目覚めさせたい。ずっと、あの暗闇の中で叫んでた。誰にも届かない、ただの祈りのように」遥は視線を落とし、左手の指輪を見つめた。「君は……その祈りの声を、この指輪を通して伝えてたのか」アーシェは小さく頷く。「僕は、あの時――魔王として討たれた。でも、すべてが失われたわけじゃなかった。指輪に残された“僕”は、まだ兄に会いたいと思ってた。……王国を恨んでもいた。でも……」彼はそっと視線を遥へ向ける。「君が……あのとき、手を伸ばしてくれたから。コナリーに力を与えた、あの祈りに……優しさに、触れたから。だから、今の僕はこうして話していられる」遥はその言葉を聞きながら、胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚に襲われていた。「君の願いは……カイルを目覚めさせること。でも、それって……」「新たな魔王
◆◆◆◆◆再び、記憶が動き出す。白の空間に色が流れ込み、空が、風が、大地が姿を変えていく。視界の中に現れたのは、かつて見た王都とは違う――静かで穏やかな街並みだった。人々の顔には笑みがあり、農地は実り、街には歌声が流れていた。「……これが、竜を倒した後の王国」遥の隣でアーシェがそっと頷く。「しばらくの間、すべてが平和だった。王国は潤い、民は笑い、王と聖女は並んで国を支えた……。直人の知識と、レオニスの誠実さが実を結んだ、輝きの時代だったよ」◇◇◇だが、ある日。空を吹き抜ける風が、突如として刃と化した。街を歩く人々を切り裂き、大地は亀裂を生み、幾人もの命を呑み込んでいった。「これは……何だ……?」レオニスは胸を押さえながら呻いた。魔力が制御できない。力が暴走している。王都では突発的な魔力災害が相次ぎ、人々は怯えて家に閉じこもった。「王が……あの優しかった王が……」人々のささやきは恐れと失望に満ち、やがて王宮を遠巻きにするようになる。直人は、毎日のように王の元に駆けつけた。「俺がもっと、早く気づいていれば……」
◆◆◆◆◆白い光が静かに薄れていく。 空間の端から輪郭がほどけ、淡い光の粒子が舞い始める。 次の記憶が立ち上がる、その刹那――遥はふと、直人が口にした祈りの言葉を思い出した。――光の加護に導かれし絆よ。この誓いに、真の繋がりを宿せ。痛みを半分に。願いを二重に。運命を一つに。(この言葉……)小さく口の中で繰り返すように呟いた瞬間、遥の背を冷たい感覚が走った。(……俺が、コナリーと契約したときの……あの呪文だ)教会の神殿で、あの時、手を取り合い、心を交わした記憶が蘇る。目を見開いた遥は、驚きと共に確信した。同じ言葉、同じ祈り。直人とレオニスが交わしたあの契約の言葉は、自分とコナリーを結びつけた“聖女契約”そのものだった。(まさか……これが、その“始まり”……?)歴史の起点。 この記憶の中にあるすべてが、やがて未来の制度や儀式として形を変えて伝わっていったのだと。「……これが、“聖女契約”の始まりなんだな」遥が思わずそう口にしたとき、彼の隣にふと気配が現れる。そこには、アーシェがいた。ぼんやりと浮かぶ記憶の光を見上げながら、彼は小さく頷いた。「……そうかもしれないね」
◆◆◆◆◆直人が召喚されてから、数週間が過ぎた。初めはただ呆然と立ち尽くしていた彼も、今では異世界の空気にすっかり馴染み、まるで住人のようにこの世界を歩いている。「……やっぱ、面白いな、こういうの」王都を見下ろす丘の上。風を受けて立つ直人の隣では、レオニス王が静かに腕を組んでいた。眼下には、拡張された畑。新たに掘られた用水路。人々が笑いながら働く姿があった。「直人。君の提案を受けて、農地の整備と用水路の延長工事は順調に進んでいる。王都の食料供給は大幅に安定し、農民たちの不満も沈静化した」「でしょ? それに、次は孤児院と病院。住みやすい国ってのは、そういうところから整えるもんだよ」にやりと笑う直人に、レオニスも微かに口元を緩める。ゲーム知識と現代の知恵、それを基にした直人の提案は、王国にとってまさに目から鱗だった。王族や教会関係者、さらには地方貴族までもが、最初は半信半疑で彼を見ていたが、結果を出し続けるうちに、否応なく認めざるを得なくなっていた。もちろん、そのすべてが順風満帆というわけではない。「“異邦の者が口を出しすぎだ”なんて声も、耳に入ってるよ」直人は軽く肩をすくめる。「だが、民の中には君を“聖女様”と呼ぶ者も出てきている。信頼は、確実に広がっている」「いや、あの称号はマジで慣れないって……」ぶつぶつ言いながらも、直人の顔にはどこか誇
◆◆◆◆◆異世界に召喚された青年は、柔らかな光の中で目を覚ました。足元に広がる幾何学模様の魔法陣。周囲を囲む異国の石造りの柱。高い天井には、見たことのない金属細工と文様が描かれていた。「……は? あれ、これって……」黒髪の青年は上体を起こし、天井を見上げたまま呆然とつぶやく。「この構図、テクスチャ素材、光源処理……完全に俺が設定したやつじゃん。え、うそだろ……?」彼の名は直人。ゲーム開発者――だった。「いや待て、ここ……俺のゲームの世界だよな……? あの未完成で納期ぶっちぎった『☆聖女は痛みを引き受けます☆』……マジで!?」直人は魔法陣の上から飛び退くように立ち上がり、視界をあちこち忙しなく動かす。召喚陣の周囲には、数名の僧衣をまとった教会関係者たちが固まっていた。 彼の漆黒の髪と瞳。その異質な姿に、一同は言葉を失っている。「黒髪に黒い瞳……まるで夜の呪いのようだ……」 「本当に、聖女なのか……?」ささやきが広がる中、その沈黙を破るように、一人の男が前へと進み出た。銀白の髪を風に揺らし、深紅の瞳をたたえた長身の男。 その威容はまさに“王”の風格を纏っていた。「下がっていろ。私が話す」堂々とした足取りで青年に近づいたその男は、静かに
◆◆◆◆◆白い光に包まれた遥の意識は、深い場所へと沈んでいく。ふと気づけば、そこには誰の気配もなく、音も色もない、静謐な白の空間が広がっていた。柔らかな空気に包まれながら、遥はぼんやりと立ち尽くす。「……ここは……どこだ?」思わずつぶやいた声は、不思議と反響もなく、空間に溶けていった。「記憶の中だよ。君と僕の、そして……もっと古い誰かの記憶」静かな声が後ろから届く。遥が振り返ると、そこに立っていたのはアーシェだった。白い空間のなかに銀の髪が揺れ、彼の赤い瞳だけがはっきりと色を帯びて見えた。「アーシェ……?」「うん、僕だよ。驚かせたならごめん」アーシェは柔らかく微笑み、静かに歩み寄ってくる。「この空間は、僕たちが繋がったときに広がる、記憶の断層のようなもの。君が“触れた”ことで、過去への道がひらかれた」「……過去って、誰の?」「僕の……そして、僕がかつて触れた“彼ら”の記憶」アーシェは、手のひらをゆっくりと空に向けて掲げた。すると、白い空間に金の粒子が舞い上がり、やがてふたつの人影が形を成していく。――それは、石像だった。王の石像は、背筋をまっすぐに伸ばし、鋭くも静かな眼差しで前を見つめている。威厳に満ちたその顔は、今にも動き出しそ
◆◆◆◆◆白い光に包まれた遥の身体は、重力を失ったようにふわりと浮かんでいた。耳鳴り。心臓の鼓動だけが、遠く、そして近くで響いている。どこまでも白く、静かで、何もない空間――そう思った瞬間、足元に確かな感触が戻ってきた。視界がゆっくりと色を取り戻し、遥は固い石の床に降り立っていた。(……ここは……?)ひび割れた柱。崩れかけた天井。冷たい空気と、どこか祈りのような静けさ。古い――それだけは、確かに感じられた。神殿のようでありながら、重く沈んだ哀しみが空間全体を覆っている。遥の視線が、ゆっくりと前方に向かう。その先に、ひとりの少年が膝をついていた。肩まで伸びる銀の髪。淡い光に照らされたその背は、今にも崩れそうなほど儚く見えた。腕の中には――灰色に変わり果てた、石と化した少年が、静かに抱かれていた。(……魔王、アーシェ……)遥は息を呑んだ。これまで指輪を通して感じていた気配。それが今、こうして目の前で呼吸をし、何かを見つめている。アーシェの顔は穏やかだった。けれどその表情には、耐えるような哀しみが滲んでいた。「……カイル……目を……覚まして……」
◆◆◆◆◆「……やっぱり鍵がかかってる」重厚な金属の扉の前で、遥が取っ手に手をかけて押してみた。微かな振動と共に、内部で何かががっちりと噛み合っている感触が伝わる。「見て。この装飾に仕掛けがある」ノエルが扉の中心にある幾何学模様を覗き込みながら、ぽつりと呟いた。「……思い出した。昔、一度だけ祖父に連れられてこの前まで来たことがある。中には入れてもらえなかったけど、祖父がこの扉を開けるのを、横で見てたんだ」懐かしむような声でそう言いながら、ノエルは小さく頷いた。「扉の仕掛けを解除するのに、少し時間をもらえる?」「危険はないのか?」すかさずルイスが問いかける。ノエルは微笑んだ。「大丈夫。祖父の動きを真似て何度も練習してたから」そう言うと、ノエルは工具袋を取り出し、しゃがみ込む。小さな金属ピンを差し込みながら、複雑な噛み合わせの中で音を拾っていく。「“記録できない歴史は、物に宿る”。祖父の口癖だった。ここには、そんなものが眠ってるんだと思う」ノエルの言葉を背に、遥は手にした革表紙の手帳を開いた。古代語と現代語が交互に記された記録。時折、簡素な図やスケッチが挿まれている。――“封印の地より搬出された石材、地下収蔵室にて保管中”――その記述に、遥の指先が止まる。「……あった。